非常勤として勤め始めて数年、人の入れ替わりの激しさに初めは驚いていたものの、今ではすっかり慣れました。
どうして辞めてしまうのか、その理由が見えてきたからでしょう。と、落ち着いた様子で、さも古株であるかのようなコメントをする私も、実はそんなに長く日本語講師をしているわけではありません。
なのにあたかもベテランであると勘違いしてしまう。それはなぜでしょうか。
数年で古株になってしまう、その実態は
非常勤教師の実態
早い人では半年のうちに辞めていかれます。そうでない人で数年、そこを越えると5~10年といったところでしょうか。しかし5年以上経ったからといってずっと勤めていけるかというとそうではありません。海外に出て行ってしまったり、家庭の事情で退職されたり、いつ辞めていかれるかはわかりません。
専任講師の実態
非常勤が時給(コマ給)で働くパートタイマーとすれば、専任講師は月給で働く正社員です。年金や社会保険などにも加入できます。こういった条件的な理由と安定のために専任講師を選ぶのでしょう。非常勤講師から専任講師になる人も少なくありません。
しかし、専任は経験豊かな非常勤講師に気を使いながらも主導権を発揮しなければならないのです。この矛盾を抱え5年ほど勤めると、いつのまにか会社でいう主任か課長の地位についていることがあります。望まなくてもその地位についてしまっています。なぜならば、自分の上にいた人が辞めているからです。
また、もともと日本語を教えることが好きでこの仕事を選んだ人にとっては、極めても飽きてもいないのに現場を離れることになります。自分でも十分な経験がないと自覚していても非常勤講師を指導し、新しい専任講師を導く役目を負うことになります。
仕事量の多さやお給料の安さが関係していることもあるでしょうが、そういったあまりに早すぎる立場の変化に戸惑い、ストレスを抱え、辞めていく専任講師も多いでしょう。
数年で古株になったと誤解してしまう理由
一般企業に入社してから数年経った頃というのは、ようやく少しずつ会社に貢献できるようになり、会社側でも社員ひとりひとりの能力が明確に見えてきて、今後どのように育てていこうかと考える時期です。しかし日本語学校では数年たてば十分古株になってしまいます。その理由をいくつか考えてみましょう。
1年を2期もしくは4期に分けている
会社なり日本の学校なりが1年を1単位としているのと違い、日本語学校の多くは2期もしくは4期で1年というサイクルで動いています。4期制であれば3か月で1クールが終わるわけで、1年すれば同じことを4回繰り返したということになります。
教えるクラスのレベルがある程度固定されていれば、同じ箇所を4回繰り返し教えることになります。これを数年繰り返せば、教師本人にとっては授業に関して十分自信の持てる経験になります。また学生との初めての顔合わせから期末テストを行うまでの一連の流れも1年で4回経験できますから、落ち着いて先を見据えながら進めていけます。
仕事の上で必要な力には自信あり
仕事をする上で持っていなければいけない力は日本語力です。これは日本で生まれ育ち、日本で教育を受けた人であれば誰もが持っているものとして、採用面接の際にその力を測ることはしません。
日本語教育能力検定はその能力値を測り、日本語を教育するだけの力が備わっているかどうかを問う試験ではありますが、あくまでこれは日本語教師になる条件のひとつに過ぎません。
入社後に必死に能力を鍛えなくとも、最低限の日本語教師力があれば仕事ができると思えてしまうことが、早い段階で一人前であるように錯覚してしまう理由のひとつだといえます。
授業のうまい下手はなかなか見えにくい
知識があるのは大前提として、それよりも大事なことは授業を作る力です。学生の確かな満足度と成果を目標に置いて授業を組み立てるわけですが、授業は教師同士で確認し合えるものではありません。その仕事ぶりは教室という秘密裡の中で行われます。まれに教師同士で互いの授業見学を行う場合もありますが、お互いへの遠慮や尊重からあまり行われないことも事実です。
仕事ぶりが公に見えるものであれば、自分のいたらなさに気づく機会があり、また指摘を受ける機会もありますが、そうでない場合は自己満足で完結してしまうこともあります。そして学生はその教師の差に気づきます。学生の授業態度を己の反省材料に活用しますが、密かな修正に留まることがほとんどです。乱暴な言い方をすれば、長く勤めていれば、外面的なベテランを装うことも可能であるということです。
数年で古株になることは良いことか、良くないことか
挑戦したいという思いがすぐかなう良さ
即戦力としての大きな期待を寄せられることは、人によっては精神的にきついことですが、すぐにやりがいを感じられる点は特筆すべきよい点です。ただし自分の方が実力があるかもしれないのに数年先輩というだけで尊敬し、納得のいかないやり方や指導にもついていかなければならないのは、それはそれで大きなストレスでしょう。
つまり、入ってすぐに難しい仕事を任されるということは、自分で自分を鍛え上げることを厭わない人であれば、願ったりかなったりの状況ではないでしょうか。そのような機会を与えられること自体、一般の会社では難しいことですから。
数年で即戦力と見られることの危うさ
最近では海外で働く日本語教師が増えている傾向があります。学生期間を終えるとすぐに海外へ出る人もいますが、その場合、十分な経験を積んだ上での渡航のケースがほとんどでしょう(海外では経験者であることが採用条件に含まれていることも多いです)。その結果、来日する学生も入学時点で高い日本語レベルを持っている場合も少なくありません。
一方、国内は常に教師不足なので、未経験の講師でもすぐに仕事が見つかるといっても過言ではありません。これから経験を積んでいこうとする講師も多いです。このため、自国で経験豊かな日本語教師に教わってから来日する学生等は、はるばる日本に来たのに授業に不満を抱いてしまうかもしれません。留学という大きな決断をした学生にとっては、大変残念な期待外れの結果になり得るのです。
まとめ
世界から見た際の「日本という国の人気度」によって学生数は変動します。日本の景気が悪くなったり、地震などの自然災害が発生すれば学生数は簡単に減ります。アジア圏で先進国としての位置にあり、アジア人の手本として見られる日本も、その学生の国の経済が発展すれば注目度は下がっていきます。実際、中国や韓国の学生の割合は減っています。
そうした不安定要素がひしめく中、日本語学校が長期的に発展し続けていくためには、広い視野を持った営業力が必要だと思います。それは、日本語を求めている国を常に開拓し、その国々での学生募集に力を注ぐということです。また学生の進路についても真摯に取り組み、確固とした評判を作っていくことも忘れてはいけません。
数年で古株になってしまうことの良し悪しを論じるよりも、それをどう自分の中に落とし込み、生かしていけるかが大切でしょう。