学生を子ども扱いしないために必要なものは?

弱者に対しつい子ども扱いしてしまう場面はそこここで見られます。
病院内での患者と看護士、介護施設内での高齢者と介護士などのように。これと同じことが、日本語学校の学生と日本語教師の間でもあります。

日本での生活の中で、日本語が不十分という点では確かに弱者である彼らですが、かといって子ども扱いしていい年齢はとうに過ぎている人たちです。
どんな場面で子ども扱いしやすいのか、なぜそうなるかなど考えてみたいと思います。

簡単なことが何度注意しても直らない

日本語が不十分ということ以外にもうひとつ、つい子ども扱いしてしまうシーンがあります。それは日本でのルールを教えるときです。教室の窓からゴミを捨てない、欠席や遅刻をする場合には事前に連絡をする、教室にゴミを残していかないなど、日本ではごく基本的な、小学生に言うべき内容を大人である学生に言わなければならないことが多々あります。

注意する側は「どうしてこんな簡単な、小学生でもできることができないの?」と自然に思ってしまいがちです。それでも一度や二度は許せます。知らないからしかたがないと冷静に思えるからです。でもそれがなかなか直らないと冷静さがなくなっていきます。「小さい子でもできる簡単なことなのに直せないのはなぜ?」とあきれ、そして高圧的な態度になることもあります。

結果、確かに正しいことを言われているのはわかるけど、厳しすぎるという文句が学生側から出ます。「日本人は初めは優しいけど本当は厳しい」といったコメントをもらうことにもなります。

習慣を変えるのには時間がかかる

幼少時に親にいつも何かと注意されたのはどんなことでしたか。周りの人の迷惑を考えること、予定が変わったらすぐに連絡をすること、ゴミはゴミ箱に捨てるか持ち帰るかすることなど(ゴミ箱が近くにない時は、親にゴミを渡すなどもしてきました)、繰り返し口でも態度でも示されてきたのを思い出しますね。そうして習慣化されてきました。

ひとつ外国での面白い体験をお伝えします。車に乗っていたときのことです。お菓子の袋のゴミをどうしようか迷っていました。私が困っていると、現地の人がそれを察してゴミを受け取った、というより奪い取って迷わず車の外に投げたのです。驚きました。

そんな場面は何度もありました。そして捨てられないで困っている私の姿は、現地の人からはまるで子どものようにかわいらしく映っているようでした。そして笑いながら何度も外に捨てるように促されました。その末に思い切って捨ててみました。でもついゴミの行方が気になってしまい、やはりその後はまた捨てられませんでした。

「郷にいっては郷に従え」という言葉がありますが、すぐに従うことはできないものです。車外にゴミを捨ててはならない、と日本の生活で刷り込まれたことは簡単には変えられないのです。それと同じことが、すぐには変わろうとしない外国人にもいえるのではないでしょうか。

正しいことの意味は人によって違う

安請け合いするな、つまりできない約束はするなということを、外国人学生に対して思うことがあります。あまりに軽い返事をした場合は、二度三度と「大丈夫?できる?」と言葉を重ねて確認します。相手が日本人であればそこまでしつこく聞きません。できると言った時点で、できるという目算を立てているだろうと思うからです。

日本人とビジネスをする外国人からの文句でよく聞かれるのが、「日本人は返事をするのが遅すぎる、せっかくのチャンスが逃げてしまう」というものです。軽い気持ちで進めてみてできなかったらまた振り出しに戻るのだからかえって非効率、と思ってみるのですが、様々な国の外国人からこの文句を聞く度に、「正しくないのかもしれない」「慎重すぎるのかもしれない」と思い始め、自信がなくなります。

違う国の人と接する場では正しさの意味は揺らぎます。長年の付き合いになってくれば、双方にとって納得できる正しさが見つかることもあるでしょうが、場合によっては永遠に答えが出ないかもしれません。

学校は受け止め、考えさせる場

正しいことは何かと考えることは、国によっての考え方や教育方針の違いに気がつく足がかりになります。時には社会構造の違いまで見えることもあり、そういった深い考察ができるようになることは、留学した意義にも繋がるのではないでしょうか。

どうして日本のやり方は違うのだろうといった疑問を抱くのは当然です。国が違うのですから。そこからただ反発心を募らせたり、心を閉ざすことになったりしては、学生本人の進歩や成長はありません。大人である学生にはただ単に従うということができないことを理解し、学校という場だからこそ、学生の疑問やひっかかりどころを真剣に救い取ってあげたいものです。

学校では、言葉の教師であるだけでなく、できれば学生が日本社会を知るたくさんの機会を提供したいと考えています。そのことについてはいつでも貪欲でありたいとも思っています。日本という国や社会を理解し判断していくスタートラインに立った彼らの疑問を、まず受け止めるところから始めたいですね。

受け止めている暇がない!という言い分もあるでしょう。しかし効率を重視し、彼らの興味や疑問をないがしろにしていいのでしょうか。学びの場である学校で、心を大事にするだけの余裕を見せられなくていいのでしょうか。

大切なものは向上心

学生にも伝えたいことがあります。初級・中級・上級とレベルが進んでいくにつれ、日本語の語彙が増え、文法の力も身につきます。しかし、使えるだけでは十分とはいえません。その日本語力を使って異国である日本でも自分らしさを発揮してこそ日本語力が身についたといえるのです。黙って従っているだけでは何も成長できません。

日本語教師側も同じです。学生とのやりとりを通して、違いの奥にある理由や考え方を学んでいけば、グローバルな場で通用するコミュニケーション力を身につけられるかもしれません。そんな向上心を常に忘れずにいれば、接する相手を子ども扱いすることは自然となくなることでしょう。

まとめ

子ども扱いしないために必要なものは、学生と教師双方の向上心にあり!との答えにたどりつきましたが、いかがでしたでしょうか。
ただ向上心とセットで謙虚さも常に持っていたいところです。立場や国籍にとらわれ過ぎず、個人対個人として、やわらかに過ごせるとよいのでしょうね。

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