外国語を大人に教えるということ

国語と、外国人が習う日本語はどう違うのかと考える場合、その習う過程に大きな違いがあります。生まれたときから自然にそういうものとして理解する国語と、理論的に関連づけたり分類したりして覚えようとする年齢を超えてから習う言語の違いです。

特に成人教育のひとつとして日本語を教える場合には、特有の簡単さと難しさがあります。そのあたりをご説明しましょう。

外国語を大人に教えるからこその簡単さ

勉強する理由が明確

日本語を勉強する理由がはっきりしている場合、自分の中で動機づけができているので自主的に勉強することができます。日本語学校を例にとれば、大学なり大学院なりへの入学を目標としている場合、より高度な日本語を身につけたいという意志は固く、授業に対してもとても熱心です。

語彙の説明が簡単でよい

母語での語彙力があるので、辞書で意味を確認するだけで語彙の理解ができます。打ち合わせ、話し合い、会議のように似たような意味だが使う場面やタイミングが違う言葉であっても、簡単な説明で十分です。

使う場面の違いを理解できる

書き言葉、話し言葉、目上の人への言葉、友達どうしの言葉などの使い分けがあることを、それまでの社会経験から理解できます。またニュアンスの違いといった細かいところまで気にすることのできる”大人度”がありますから、慣れてくると「これは書き言葉ですか」「これとこれのニュアンスは違いますか」といった質問が出るようになります。

外国語を大人に教えるからこその難しさ

勉強する理由がなくなれば勉強しない

大学や大学院を目指す学生以外の学生で、上級まで進み、生活するのに十分な日本語力がついてきた場合、それ以上は実生活の中で勉強していけるという理由が自分の中ででき、熱心でなくなることがよくあります。年齢的に十分大人であれば、これくらいでよいかという判断ができてしまうからです。

実際に日本で仕事をすることを考えればいくら勉強してもし足りないくらいなのですが、そこがまだはっきり決まっていない場合もあり、勉強する動機を失います。上級まではどうにか勉強してきても、その上の超級になったとたんガラリと勉強態度が変わり、欠席しがちになるということはよくあることです。子どもであれば、成績のこと、親御さんからの励ましなどでぐらつかず進める可能性はありますが。

語彙の勘違い

語彙の理解は簡単になることもあれば、かえって難しくなることもあります。語彙によっては大きな勘違いをしたまま進んでしまう可能性があります。そういったことを恐れ、教師側は語彙の説明をしますし、ときには例文も用意するのですが、母国語での意味と同じだろうと判断し、違いを探ろうとしないでわかった気になることも多々あります。

それぞれの国で対日本語の辞書が出ているわけですが、日本語教育の歴史が長く、日本語研究者が国にいるような場合はまだよいですが、そうでない場合、辞書も当てになりません。自分の国で作られた参考書が間違っている、スマホからわかる意味がずれているということは、学生からの訴えとしてよくあります。

日本語テキストの後ろに付録として語彙の対訳が載っていますが、それまでも間違っているという指摘はよく耳にします。英語を専門的に勉強する際に英英辞典を勧められたように、上級になったら国語辞典を勧めるべきなのかもしれません。

大学で研究すべき内容にまで行ってしまう

外国語を習うとき、特に文法の中ではテキストに則ってルール化されたものを教えていきます。しかし実際には採点の際に先生同士で「これも言いますね」とよしにする許容範囲というのものがあります。また今のレベルではややこしくなるから教えないが、実際には使っている場合もあります。

それをある程度ルール化して説明するには、たくさんの例文にあたり分類し、考察しなければいけません。が、教師側でそこまで説明できる力がないことも多々あること、クラス全体の到達度を思えば一斉授業の中でそこまでの説明はする必要がないときがあります。

目的に合ったところで学ぶのが一番

日本で生活するための使える日本語が必要という目的の場合、ひとりひとりの求める「使える」分野や程度は違います。話せれば十分という人と、学校からの手紙などを読む必要があるという人とではカリキュラム作成にも違いが出てきます。ですから一斉授業よりもマンツーマンの授業が合うでしょう。

主婦として母として日本で生活していく場合は、それ以外の知識や知り合いを得るという意味でも同じ立場のボランティアの人から日本語を勉強すれば、その人から得るものは日本語以外にとどまらず、大きな意味があることでしょう。

大学や大学院進学を目指しているのであれば、同じ目的を持った学生と切磋琢磨していく環境がよいですね。それに合う環境が日本語学校というわけです。
しかし現実には、日本語学校に来る学生すべてが進学意志を持っているわけではありません。ビザのためにこの制度を利用しているというある意味大人の判断で来ている学生も少なくありません。これは本人にとっても教師にとってもストレスのもとです。

まとめ

日本語力が十分でない学生でも入れる大学や専門学校が数多くあり、そういった学校ではむしろ留学生を歓迎している向きがあります。お金さえ払えるなら合格できるとまことしやかに囁かれるようにもなっていることは憂うべき点でしょう。

日本語学校で教師をするときには、十分な日本語力を武器に日本とその学生の国をつなぐ架け橋になってほしいと願い、その路線を崩さずにひたすら教えることに徹するのがよいことだろうと思います。しかし相手も一筋縄ではいかない大人であり、海外生活という挑戦を果たした人たちです。彼らとの授業は、おもしろい刺激がある一方でなかなか骨が折れることだとため息をつくこともないとはいえませんね。

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