日本語学校でICT化は進むのか

巷でよく聞かれる「ICT」。小学校などの教育現場で取り入れられる日は近いようですが、小規模な日本語学校ではまだまだ先の話だと思っていました。

ある日のこと、「ノートはiPadでとってもいいですか?」「教科書はiPadの中にあります」。そんなふうに説明する学生が現れました。彼は中国人。とりあえずその場では受け入れ、後で学校側に相談することにしました。結果として申告制で認めるという方向にはなったのですが、それ以外の学生への広がりはなく、彼は卒業していきました。

さて、日本語学校でのICT(Information and Communication Technology)化は進むのでしょうか。

教育現場でのICT化とは

教育現場のICT化で変わるといわれているのは下記のことです。

  • 黒板→電子黒板
  • ノートや鉛筆→PC
  • 教科書→電子教科書

特に電子教科書が取り入れられるようになると、一人一台のPCは必須になります。予算的に大きくなるので国をあげての事業となり、一日本語学校ではそこまでは無理だと思っていました。
しかしこういった変化はあっという間なので、意外にも速く変わっていくことはあり得ます。かえって日本語学校だからこそ速い変化になるかもしれません。

日本語学校でのICT化が進む理由

ICTへの変化が速いと想定した場合の理由について考えてみましょう。

1)ICT化が進んだ国から来る学生が今後増えていく

欧米の学生が少ない学校が多いでしょうから、少数であるうちはまだICT化の必要性は広がらないで済みます。
しかし今後、学生の国別割合はあまり変わらないとしても、ICTの進んだ国から来る学生が増加することはあり得るのです。

アジアの国に対する「日本が進んでいて他の国は遅れている」という思い込みは間違っている、と中国に出張する友人から言われました。
ネットを使って近くを走っているタクシーを最短で呼べるシステムなどは使い始めれば便利なので、ないと不便に感じ、かえって日本は遅れていると感じるそうです。そういったシステムを当たり前に使っている人からすれば、古いやり方は面倒でしょう。
前述の彼にとっては、iPadを駆使して授業を受けることの方が便利で当たり前だったのかもしれません。

2)学生獲得のためのブランディングのひとつにICT

もうひとつ、ブランディングについてお話します。
日本語学校を例に挙げて簡単にいえば、ブランディングとは、この学校は価値があると認識させ、学生を獲得するための「戦略」です。

ホームページで公開されている施設の写真や説明、学生の進路先の情報などは、ブランディングのひとつでしょう。
しかし最近では短期の学生も増え、必ずしも進学を望んでいない場合もあります。寮などの施設も、ネットで簡単に情報が得られる昨今、自力で住居を探せる学生も増えています。

そういった自立した大人度の高い学生が望むことは、質の高い授業です。
質の高さを示すものとしてはカリキュラムの内容、教師の質はもちろん大事でしょうが、それに加えて授業のやり方やICT化の程度も、今後は見られていくことは想像に難くありません。

 

日本語学校での小さな変化から見えるICT化にすべき理由

電子教科書などはまだまだとしても、最近はPCを授業に取り入れようという小さな変化がみられます。
そのひとつがフラッシュカードを使わずパワーポイントで行なうことです。シャッフルも自動的にでき非常に便利です。

日本語学校全体としてではなく、このような授業内の小さな変化から見える、ICT化にすべき理由を探ってみます。

1)“熱意”として伝わらない可能性がある

初級でよく使われるフラッシュカード。字や絵のうまい教師が作るカードは、もはや作品といいたいほど素晴らしい出来栄えです。熱意が感じられ、学生にも伝わるでしょう・・・と思われていましたが、実は思い込みかもしれません。たとえ力作であっても見やすさの点ではかえってPCで作った方がよい場合が確かにあります。
今の時代の学生は、PCで美しく整然と作られたものを当たり前として育ってきました。手書きの手紙が廃れてもう久しいのです。昔とは違う時代を生きる今の学生から見れば、熱意ではなくただ単に古くさいものとしてしか目に映っていないのかもしれません。

2)手間がかかり、教師の負担が大きい

非常勤の教師たちの間でも意見が分かれるところでしょうが、手間ひまをかけて教材を手作りすることを厭わない人と、そうでない人とがいます。あまりに素晴らしい作品を目にし、私にはそこまでできないとあきらめ、それが理由で先生を辞めたくなるということもあるでしょう。
教案作りに時間をかけた上でさらにそこまで作るのは、時間的にも労力的にも無理な実態もあるだろうと思います。

3)均一した質の授業に少し近づく

そもそも人がすることですから、各クラスの授業内容は差が出て当然なのですが、たとえば同レベルの学生たち皆が同じフラッシュカードを使うことにより、その差は少し埋まります。必要だとはわかっていても使いたいフラッシュカードを手作りすることができなかったためにしなかった、というケースは容易に解決できます。

手作りしていた教師も、便利でかつカリキュラムとして統一されたやり方に組み込まれれば、それを使うしかありません。PCの操作だけで十分に練習させることができ、やり始めればその便利さに流れていくことはあり得ます。

 

小さなICT化から想像できる問題点

このように、ICT化することによる良い点はたくさんあると想像できます。
一方、実際に実施していく場合に考えられる問題もあるでしょう。

現時点の状況から想像できることをお伝えします。

1)教師側がICTを十分に使いこなせるか

日本語教師の高齢化が進んでいるといわれています。各々の違いはもちろんありますが、変化にすぐに対応できる教師ばかりではないでしょう。また、日本語を教える技術は素晴らしいものであっても、新しい機器や方法についていけずオタオタし、学生からの評判が下がるということがないとはいえません。

2)一部の学生にとってハードルの高いものにならないか

一般的に遅れていると言われている国から来た学生にとって、慣れるまでに時間を要するかもしれません。
ただこれについては、日本に来ているからこその経験として喜んで受け入れる可能性が高いでしょうし、今の時代の若者の知識は、国による違いは少なくなっているだろうとも考えられます。

まとめ

今はまだ小さな変化しか見えていませんが、この先はわかりません。思いのほか速く変化していく可能性は大いにあります。学校によっては生き残りをかけて、その方法を必死で探っているともいえます。
教育を受ける学生がさまざまな教育的背景をもった広い世界から来た学生たちであること、常に選ばれる立場であり選ばれなければ淘汰されていくしかない運命であることから、のんびりはしていられないと考えざるを得ない実情があります。

教育に関するICT化が今後、どの現場でどのように進んでいくか、背景を含めて見ていくと非常に興味深いです。規模が小さく、国際化の最たるものともいえる日本語教育の現場は、ICT化の先駆けになっていく可能性がなきにしもあらずです。

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