日本語教師は毎日が異文化交流

留学生が使用する教科書を読み解いてみると、実に様々な事実が浮かび上がってきます。今回は、そんな教科書にまつわるエピソードを紹介したいと思います。

読解の教科書のテーマから見えること

読解の教科書や会話の教科書のうち、上級クラスで使用されているものは、学生にとって文章そのものだけでなく、内容もためになるよう工夫されています。学生に内容を教えつつも教師側でも新しい発見があり、感心していることも実は多いです。さらに、読み解き、話し合う必要もあり、ただ感心しては終われないおもしろさ、厳しさもあります。

日本社会を紹介しながら会話の勉強をする教科書のひとつに『日本を話そう』(平成6年)があります。その目次をみると「住宅事情」「高齢化社会」「日本的経営」「日本人の労働観」「政治のしくみ」「年中行事」など硬いテーマが並んでいます。う~ん、硬い。親しみやすい書き方になっていますが、テーマとして学生の興味をひくものではありませんでした。日本の今と昔を比較できる書物という観点では、基礎知識を得られるよい教科書になるかもしれませんが。

一方、新しく出版された読解のための教科書『読解厳選テーマ10』(平成27年)の目次は「働かない働きアリ」「血液型」「IT社会」など興味をひかれるタイトルが並びます。おまけに「kawaii(かわいい)」など実際によく聞くが、外国人には少しわかりにくい言葉のテーマもあります。また、「子どもの名前」などキラキラネームに関したものもあります。いずれも外国人が日本での生活の中で不思議だと感じたり、疑問に思うものが選ばれています。

教科書『日本を話そう』の中から「労働観」を例にとると、有給休暇がなかなかとれないこと、休日出勤があることなどを嘆いた内容になっていました。『読解厳選テーマ10』では、「働かない働きアリ」の中でイソップ童話のアリとキリギリスの話が下地になっています。一生懸命働いてきた日本人にはもう十分な蓄えがあり、これ以上仕事しなくてもいい、だから遊んで暮らすことにした、という内容になっています。それを嘆く高齢アリも、強い態度でたしなめるほどの自信がなく迷っているといったものです。

外国人が日本を知るために使う材料でもある教科書は、客観的に日本を眺め、顕著に表れている現象や変化がテーマになっているわけですが、ここまでの変化があろうとは、、、ほんの20年ほど前のことではないですか。10年ひと昔と考えれば当然の結果なのかもしれませんが。そんな驚きと共に改めて意識させられるよい機会になりました。

「血液型」を授業で扱ったときは最後まで学生の共感を得られませんでした。確かにこれは世界的に見ても特異な考え方、クセですからそういった反応は予測できました。しかし明らかに不満、賛成できないといった言葉や態度をほぼ学生全員から示されると、多勢に無勢で多少なりとも自分の中にしこりが残ります。この広い世界の中で奇異な考え方であるという事実を突きつけられたようなものです。こういったことは日本語教師にとっては珍しいことではありません。むしろよくあることです。

そして気がつくと、日本語教師は自然と日本社会を一歩下がって眺めるような立ち位置に移動しています。これも一種の職業病でしょうか。

日本人でありながらも外国人より

毎日、外国人に接している。相手によってはこちらから攻め込むように能動的に向かっていく必要もある。そんな日々を過ごしている内に相手との距離は縮まります。共感も生まれます。外国人も同じ人間であるという当たり前の事実を日々確認しているようなものです。おまけに自分の中の日本人らしさも強く意識させられます。教室の中で日本人は教師ただひとりなので、意識せざるを得ないのです。

そこで依怙地に日本人であることを主張するのも悪くはないですが、外国人たちのやり方の合理性、違った意味での気遣い、他人と応対する際のスマートさなどを見るにつけ、それに沿ったやり方をとることもまた自然です。ひとつの教室で多国籍の外国人と接するので、互いのやり方に正解はありません。それぞれの立場に見合った正しいと思われる対応を堂々と行う。考え方が違ってもその場での秩序を守る。それぞれの目標・目的を決して見失わないことの大切さを知りました。

このようにしている内に、様々な角度から物事を見るクセがついていきます。日本人でありながらも、ときに外国人よりの視点を持つ、そんな人になっていきます。こちらのやり方を一方的に押し付けるだけでは、年齢的には十分大人である学生を納得させることはできないので、そうならざるを得ないのです。相手の立場に立って考え、理解し、説得する。これは日本のサラリーマン社会でも同じでしょう。ただサラリーマン社会の中では相手は同じ日本人であることが多いですが、日本語教師の場合は相手が全員外国人なのです。当然、考え方は広がらざるを得ません。気持ちとしては無理に広げさせられた感もあるのですが(笑)。こうして少しずつ日本人らしさが削ぎ落とされてしまうことにもなります。

まとめ

日々接する相手によって自分は作られます。日本語教師は日々多くの外国人に接し、それも密に付き合わざるを得ない状況に置かれ、かつ日本社会を客観的に眺める教科書を使用します。日本に住む日本人ながら、異国の影響を色濃く受けていきます。そんな自分を楽しめる人、自分自身を見失わないでいられる人、かつ学生の気持ちも十二分に汲み取ってあげられる人。そんな人には日本語教師をおすすめします。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう