「日本人はウソが上手」と言われたら、どう答えますか?

1年を締めくくる今の時期、各学校では1年の学習の成果を発表するイベントを開催することがよくあります。学生にとっても普段の受動的授業が能動的活動に変わるので、このときとばかりに生き生きとする学生もいます。

ふと眺めたYou Tubeでもさまざまなスピーチコンテストの様子が紹介されていました。日本での生活について、日本人について、など興味深いものが多いです。

中でも、日本語そのものの特質に関するスピーチは、教師としての自分の対応を反省させられる内容でした。

URL:https://www.youtube.com/watch?v=Xy6KFzxiU7o

「日本人はウソが上手」

このスピーチのタイトルは「日本人はウソが上手」。インドネシア人である彼女が大学で3年間日本語を勉強したときに先生から聞いた言葉だそうです。インドネシアでは実感を伴わない言葉でしたが、日本に留学し、実体験の中でその言葉を思い出したと話しています。

この言葉は、実際に授業の中で学生から言われたことが何度もあります。読解の文章のテーマとして扱ったとき、会話や討論の授業のテーマに挙がったときなどです。学生からまるで責め立てるように言われるのです。「先生、日本人はウソつきですね!」と。

それに対してどう答えればいいのでしょうか。

ウソつき!に同調しすぎてはいけない

まずは相手の気持ちに沿う意味で「そうですね、日本人はウソつきなところがありますね」と同調することがあります。日本人はまずここから始めてしまいます。

この一言で、学生はまるで鬼の首でもとったかのように大喜びします。クラスの中では学生vs教師は人数的に負けていて、多勢に無勢、孤立無援状態なのですから、正直、同調しておくほうが楽なのです。

しかし簡単に同調してしまうと、授業はそこでおしまいです。学生によってはここから先は聞く耳を持ちません。教科書にある文章に対し、これは古くさい文章だと決めつけ、深く読もうとしなくなります。もともと自己主張が得意な学生であれば、あとは彼の独壇場。学びの場ではなくなります。

日本語の曖昧さは、今も日本社会から消えていません。だからこそ学生たちは責めるように訴えているのです。簡単に斬り捨てさせてはいけません。

教師として、どこを深堀りすればよいか

曖昧にする、つまり「はっきり言わないこと」は“ウソ”と定義されるのか。

これについて話し合うのは、個々に任せます。友達同士のレストランや居酒屋でのおしゃべりの種にすればいいでしょう。それよりも日本語教師が時間をかけて理解させるべきは、なぜ曖昧にするのかという点です。

曖昧にする理由をきちんと理解させることが、外国人たちにとって日本での生活を易しくするヒントになり、応用が利きます。だからこそ自信を持って、この点を深めていきます。

曖昧にするのは「相手の気持ちを尊重」するから

「ウソをついているわけではなく、相手の気持ちを尊重している」と、スピーチでは述べられています。相手にきちんと考える余地を残すために、自分の主張を抑えておく。これが日本人のやり方です。

意見がないわけでも、その人のことに無関心なわけでもありません。その人の意志や決定を尊重するからこそ、不用意にはっきりした言葉を出さないのです。

それと同時に、このような環境で育った日本人は率直な物言いに慣れていません。慣れていないもの同士のコミュニケーションは非常に優しく、ときにはうわべだけのものと映るかもしれません。

でもその曖昧さからくる優しさにほっとさせられることもあるのです。これに救われる外国人も多くいます。いつでもどこでも争ったりしない。これは良い点です。

私の知り合いで日本国籍に変えた中国人のモットーは「争わないこと」でした。彼もまた、何でもかんでも主張しない日本のやり方に共感した一人でしょう。

日本人の考え方がわかれば、応用が利く

日本語の文法や読解力を教えるだけでは日本語教師として十分ではありません。技術が高く、うまいと評されても、おもしろさは少ない教師になります。来日してまで学習する意味は少なくなります。日本語を上手に使うだけなら、極端な言い方をすればYouTubeでも事足りる可能性もあります。

実際、自国にいながらにして流暢な日本語を身につけた外国人は大勢います。そういった外国人が次に知りたがるのが“日本人の考え方”です。それを知るために来日するのです。

来日した彼らを、「日本語はウソが多い」と実体験するだけで立ち止まらせてはいけません。その先の「曖昧にする意味」を伝える教師になりませんか。そうすれば、とかく揶揄されがちな日本式の会話方法も理解されやすくなります。

相手の意向を尊重し、そのうえで粘り強く一致点を探ること。こういった方法は今も日本社会の中にははっきり残っています。そうできない人は幼いとされていることはまだまだあります。この点をはっきり伝える必要があります。

まとめ

学生:「日本人はウソつきですね」

教師:「そういったところは確かにありますね。わかりにくくてすみません」

授業の中で、そんな自虐的な言葉を冗談めかして返してはいないでしょうか?それでは教師として不十分だと思います。

日本語学校は日本語を使う場であり、文化あふれる日本での生活をスムーズで快適なものにする手助けをする。その位置にある日本語教師は、ただ歩み寄り共感するだけで終わってはいけません。そんなことに改めて気づかせてもらえるスピーチでした。

すでに日本語教師の方も、これから目指す方もぜひ聞いてみてください。

そして、日本に住む日本語教師として何をどう伝えることができるか、ぜひ考えてみてください。

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